小学校の教科書で「千年のくぎに挑む」というお話があります。
http://www.geocities.jp/ino_hideki55/kyouzaikenkyu-sennnennokugi.htm
簡単にいうと、千年後といったら、今私たちの周りにあるもの殆どが影も形もないだろう。
でも、奈良には世界で世界でいちばん古い木造建築がある。法隆寺は千四百年。薬師寺にある三重の塔、東塔が千三百年。コンピュータもブルドーザーもなかった時代に、古代の職人たちは千年たってもびくともしない建物をつくりあげている。
そして1970年に薬師寺で大がかりな再建計画がスタートする。かじ職人である白鷹さんは、千年保つくぎを作る役割を任命される。
千年保つ釘を作るのはたやすい事じゃない。でも調べていくうちに古代の人が純度が高いとさびにくい事や、固さの調整などを知っている事に気付く。
「千年先のことは、わしにも分からんよ。だけど、自分の作ったこの釘が残っていてほしいなあ。千年先に、もしかじ職人がいて、この釘を見たときに、おお、こいつもやりよるわいと思ってくれたらうれしいね。逆に、ああ千年前のやつは下手くそだと思われるのははずかしい。笑われるのはもっといやだ。これは職人というものの意地だね。」
と終わります。
ちょっと話は変わって、今日は、師匠のアンティークコレクションを見せて貰ってきました。
超一流の人と仕事をしていた人は、持っているものから違うんだなぁ。
それらを作る職人の方達が、勉強のために来られていましたが、その技術の高さに感動していました。
昔の人は、何を作るにも手をかけて、こだわって作っていたこと
より使いやすいように
より美しく見えるように
機能的であるように
今のように、コストが基軸ではなく、どういうものを作りたいか?にこだわって作っていた
誰も見ていない所にこだわりを持って作っていた
なぜ「美しい」事を前提とした世の中の方が幸せなのかといえば
美しいということは
バランスが最適な状態であることだからです。
誰かにかわいがって貰うために「かわいくありたい」
とかの自己顕示欲を満たすための、外見的な美の追求が雑誌などであふれかえる事により
「美しくありたい」という真の意味が、誤解されやすい状態が続いていますが
美しいとは本来、調和している状態を表すのです。
つまり、最も機能的だという事なのです。
だから、精神世界が大好きで、調和とか愛など言っていても
美しさに無頓着であったなら、片方だけを見ている状態になります。
マーケティングとは
「本来、不必要な欲望を人工的に創造すること」
の手法の総称です。
コスト度外視で作っている職人的な気持ちが昔はあり、お金なんかいくら持ってきても売らないよ
という気概もあった(今もなお、それを持ち続けている人もいるでしょう)。
昔のものは、手をかけて丁寧に作られているものが見つかる。
コストを基準にして、物作りをしてきた結果
何かを作る時にも
「とりあえず、その形に見えていさえすればいい」
というような、コスト基準の、思い入れのない製品があふれかえり
つまり、相手への思いやりのないものが作られた。
つまり、フェイク
本物、とフェイク(偽物)の差は
愛があるかないか、の差なのだと思う。
仕事というのは、どういう社会を創造したいか、という意思表示である。
だからお金のために自分の魂を売るなんてもってのほかなのは
そういうわけであり
目先の欲にかまけてしまい、自分の利益ばかりにしか目が行かないよりも
孫、ひ孫、玄孫の世代、もっと先の未来までを見越して
どんな価値を残したのか
どんな価値観や美学にこだわって生きたのかを問われたとしたら?
あなたは、あと残り何十年かあるかも知れない人生の中で
何を表現していきたいですか?
自分が何を得られるかが基準だと
死ぬとき、結局、なんにも残っていないように思うのです。
師匠のコレクションを見て、これらを作った人はもうとっくにこの世にいないのでしょう
けれどもこの人達が残した者は、より使いやすいよう、より美しく見えるよう
芸術作品と呼べるレベルで
今もなお、その作品そのものが、言葉にならない沢山のことを、私たちに伝えてくれたのです。
こういう仕事が出来るって、本当にすごいことだよね。
たぶん、実際には、地味な作業で、特に目立ったり華々しいことは生きている間にはなかったのかも知れない。
ただの真面目な職人さん達だったかも知れない。
でも、100年後の人たちが感動するようなものを創れるって、本当に素晴らしいこと。
仕事といっても、ビジネスとは限らない。
例えば育児もまさにその一部だと思う。
子育ては、自分の生き様の体現だから。
どう生きたか。
目先のお金の為に、自分の特性や魂を売ったのか
それとも、どんな世の中になってほしいというビジョンを持って生ききったのか
前者だと、世の中は変わらない、と憂うようになる
後者は、生き生きと輝いて生きられるようになる
自分が創造者であることを自覚しているからだ。
どんな世界を創りたいのか、どんな世界に住みたいのか
そこは、お金は度外視で守り抜く部分だろう。
それは、文化・芸術というものであり、コストという幻想に惑わされず、大切に育てていくもの。
それが心の豊かさであり、人生の楽しみであり、歓びであると思う。
そんな事を感じた日でした。
あなたは、自分を最大限に生かして何をこの世界に表現していきますか?